2009年3月16日月曜日

感化されて文章を書く

<飲んだ勢いで書きました>

無駄が仕事を生む
効率化されれば仕事がなくなる
と語っていた

研究室のある人の話を思い出す

穴を掘って、又埋めて、穴を掘って、また埋めて
でもそういう無駄なことがあるから
食べていけるという
なんだかやるせない

正義や道徳の観念を全てを捨ててしまって
人間を人間と思わない方が、むしろ健康体を保てるのではないのかとさえ思えてくる
人間は動物で、動物は力の世界で生きている
殺されれば負け、勝った方が正しい

そうすれば、悲しい人間を見て、悲しむこともないし
不条理な力のある人間を見て、怒れることもない


僕にはもう正直生きる気力はありません
夢を追っていた過去の自分はもう死にました
夢がかなう可能性、夢がかなった後の現実
夢をかなえるための自分の能力
全てが足りないし、魅力を感じません、気力もありません

僕にはもう正直生きる気力はありません
しかしそれは物理的に死ぬということではなく
精神的に死ぬということです
人間は生きているうちに何度も死んだり生まれたりするのでしょう


人間という動物
――現実から目を背け
趣味として、数式をいじくる毎日
これが僕にとっての幸せです

長く生きるつもりはありません
しかし、それは短く死ぬということを意味しません

仕事に就くための勉強して
いい会社に入って自分の時間を持つことなく働いて
そして退職して老後を向かえ
そして程なくして病気にかかって死ぬ
人生の価値が、生きた年数に比例するとでもいうのでしょうか
何を考えて生きているのでしょうか?

いいえ、誤解を恐れずに言えば、9割は
生きること自体について何も考えずに生きているのでしょう
それは、十分に暇のある人が考えることで
奴隷を雇って仕事をしなくてよかった古代ギリシャの哲学者とか
大学生ぐらいでしょう
きっと、何かをするために生きるのではなく
その年、その月、その日、生きるので精一杯
そういうことなのでしょう

つまり、価値観の尺度が根本から違いわけです


有意義に楽しいと感じることを
なんの不安にさらされることもなく無条件に夢中にできた
あの頃に戻りたい

(いや、過去には過去のつらさがあっただろうし、
 過去を美化してもしょうがない、か)

さもなくば
心を殺して何も感じない人間になって


神様どうして人間を不完全に作ったのですか

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