2009年2月19日木曜日

この声も体も目つきも鼻も唇も頭も髪も考えも思考も観念も
全部鍋の中に投げ込んでぐつぐつと煮込んで
下水に流したい

条件が必要なのだろうか?
それらが自分に備わっていないと感じる時に
ひどい劣等感を覚える
自尊感情が無に漸近していく
堂々めぐりの思考の渦に飲み込まれるより
そういう脳の作りをしているだけとあきらめた方が健康的だ
即ち、私は虫のようなもので
この世界はお釈迦様の手のひらだ
虫は虫として生まれたのならば
どんなに汚くともどんなに惨めでも嘆く必要はない
手に入ったかもしれない、手に入れるかもしれないという
後悔や、わずかな希望から嘆きは生まれる
そのような後悔も、希望も本来ない
それらがあるとすれば
それは自分にはどうしようもない
手の届かない世界から一方的に与えられるもの
この虫けらめには
どうしようもないこと

今涼しいか?
今どんな気分か?
風は気持ち良いか?
空は明るいか?

ありもしない未来や過去の観念の世界で生きるよりも
今この瞬間の、この世界で生きるためには……?

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